stand on my own feet...

ひとり娘(2015年3月現在30歳・既婚・子ナシ)が、ある日(2015/03)突然、実親から絶縁メールを受信! のち、フラッシュバックを起こしてしまい解毒用ブログをここに開設。 2015年、初めて毒親の意味を知る。ネット上で数々の共感できる話題に救われたので、私の経験も役立てばいいな。

あなたの為、と言えば何でも許される

父からテメェ呼ばわりされたあげくド派手に平手打ちをくらったのは高校1年生の秋ころだったか。話し合いの途中でヒートアップして「勉強大嫌い、したくない」「親のために進学コースにいってあげた」と言った瞬間だった。

 

もともと負けず嫌いで見栄っぱりの私は、勉強が大嫌いなクセに運だけで小中高とお受験三昧で進学校へ。しかし、高校合格で燃え尽き、高卒で就職するのが夢だった私は本来の勉強嫌いを発揮しグータラな生活を送り始めた。

 たったそれだけ。無断外泊や警察のお世話になるようなことはしていない。

その日、まずは母のヒステリーが発動。しかしもう負けてはいられない。親の望み通り有名校へ進学し義務を果たしてやったと思っていた私は母に初めての反論!どうにもならなくなった母は父に援護を頼んだ。なぜ勉強嫌いなのに高校へ行ったんだ!というくだらない質問に衝撃を受けた。

平手打ちのち、「高校辞めさせてやる」だの「普通科に落としてやる」だの、あれだけ進学校に行け、そこしか入学金は支払わないとうるさく言っていたのにも関わらず、私は散々なことを言われたあげく「明日担任に相談しに行く」と。思春期真っ盛りの私にとって、こんなくだらない親子喧嘩が発端で親が学校に来るなんて恥ずかしいことこのうえない!ごめんなさい、そんなことはやめてと泣いて頼んだが、とうとう親は高校に来て担任に「辞めさせるか普通科に転科させる」と言ってしまった。最終的に担任が止めてくれたおかげでなんとかクビがつながった。

 

何年かしたあと親に「あのときはあんなことになって恥ずかしかったね悪かったね」と言われたい期待を込めて、明るい感じでこの話題を振ったことがある。しかし返ってきた言葉は「あれ位しなくてはノスケはもっとダメになっていた。あなたの為だった」

虐待のニュースが流れて昔されたことを振ると「まわりの親もやっていた。躾の為、アナタのため」