可哀想という感情
毒親 法事 解決、ってググってみた。
今まで私の母は自己愛性人格障害だと思っていたから境界性パーソナリティ障害について深く調べていなかったけれど、たまたま義母がボーダーっていう被害女性のブログを読んだら、『あれ?あれれ?最近の母の情報を伯母たちから聞いたけれど、なんだか境界性っぽいぞ???』と思うことがチラホラ。
自分の親の異常性を親戚が理解してくれるって本当に恵まれた環境なんだよな、と実感している。
それでも数か月前は、ただの親子げんかでしょ?法事という機会にもう一度会ってみればいいでしょ。親なんだからってお決まりのパターンに、もうダメだと思って、親に関する話を振られたらたまったものじゃないと伯母たちとは少しだけ距離を置いていた。
でも、5月の法事からの数か月間、伯母たちは伯母たちなりに情報を集めてくれていたらしい。
ノスケ母からしたら私の伯母たち姉妹は小姑にあたるから、彼女たちの言うことすべてを鵜呑みにして、母の悪口?を手放しで喜ぶことはやめておこうと思う。本当はざまあみろってすごく嬉しいけれどね。
ノスケは悪くない、ノスケ両親がおかしい、親戚みんなそう思っている。ノスケ両親の友人たちもちょっとおかしいって思っているハズ。
何度も言ってくれて、すごく響いた。いきなり身体が軽くなった感じ。
でもそのあとすぐに『60歳にもなって、夫婦でいて、周りからおかしいって思われる私の両親ってすごくかわいそう。少しでも自分の考えを否定されるとヒスって、イエスマンだけまわりに置いて。でもそのイエスマンだってこの人おかしいと思っていて。おかしいって思われたまま終わるんだろうな。』
そんな自分の両親を見ることはツラいな。かわいそうだな。いやいや自業自得だろう。
なんて葛藤をも経て。
そろそろ昔の記憶にもう一度蓋をしてみようかな。
だからといって、12月法事で会ったからといって、その先特別に会うことはないだろうし、ノスケ両親は死んだとして暮らしていくのには変わりないけれどもね。