stand on my own feet...

ひとり娘(2015年3月現在30歳・既婚・子ナシ)が、ある日(2015/03)突然、実親から絶縁メールを受信! のち、フラッシュバックを起こしてしまい解毒用ブログをここに開設。 2015年、初めて毒親の意味を知る。ネット上で数々の共感できる話題に救われたので、私の経験も役立てばいいな。

祖母の頭の中

醜いアヒルの、子

祖母の前で鏡で自分を見ていたのか、はたまた私の振る舞いが祖母のカンに触ったのか。中学生か高校生の頃、祖母から「ノスケは美人な叔母たち(父方)に囲まれてちょっと勘違いしているかもしれないけど、ノスケはその叔母たちに比べたら、ねぇ?わかるでしょ?んふっ(笑)」と言われたことがある。当時はショックというより、なぜそんな酷いことを平気で言えるんだろうと驚愕した思い出がある。ちなみに母は祖母から「ブスなんだからどんな時もいつも笑顔でいなさい」と言われて育ったらしい・・・『醜い、アヒルの子』なのか『醜いアヒルの、子』なのか、受け取り方は人それぞれ。

給油口は開きっぱなし、ガソリンは満タンにならない、永遠に

祖母が当初の診断、鬱で入院していた時、ほぼ毎日放課後お見舞いに行っていた。しかし祖母は「ひとりで寂しい、早く退院して家に帰りたい」と、私が顔を見せに行っていることなど差し置いて母や母の兄(叔父)に電話していた。すごくショックだった。

祖母に何かしてあげようとしても「そんなのいらない、そこまでしなくていい。温泉?行きたくない」などと否定をされるので、その言葉を素直に受け取ってしまいお金のかかることはしてあげなかったが、祖母宅にはかなりの頻度で顔を出して話を聞きに行っていた。しかし「近所の人は⚪︎⚪︎してもらっている、私は何もしてもらっていない。ノスケなんて、来ても10分もいないで帰るんだから来たことにならない。」そんなセリフが私の耳に入るくらいだから、近所の人や叔父にも言っていたのだろう。

顔を見せに行けば「いいから早く帰りなさい」と言っていたくせに。食事に招待すれば、自分勝手に帰りにお小遣いで倍返ししてくるくせに。「何もしてもらったことがない」などと言う。

祖母はいま、私から遠く離れた介護施設に入っている。私から祖母に電話はしたことはない。面会は年に2回ほど親と一緒に行っていたが、両親と縁を切った今、祖母と会うことは年に1回会うか会わないかということになるだろう。私はやれることはやった、祖母にも感謝の気持ちは持っている。