stand on my own feet...

ひとり娘(2015年3月現在30歳・既婚・子ナシ)が、ある日(2015/03)突然、実親から絶縁メールを受信! のち、フラッシュバックを起こしてしまい解毒用ブログをここに開設。 2015年、初めて毒親の意味を知る。ネット上で数々の共感できる話題に救われたので、私の経験も役立てばいいな。

父からの虐待

母も料理のセンスがあまりない、ということを前提に。

幼稚園児に夕飯抜きの罰

幼稚園よりも小さいときかもしれない話、私の態度が悪く夕飯を抜きにされたことがある。両親は泣いてすがる私の前で黙々と食べ始めた。最後まで、翌朝まで一切の食事を与えてもらえなかった。翌朝はバナナと枝豆だった記憶がある。だからなのか、バナナも枝豆も好んで食べない。ここでもう一品トラウマ料理が出てくる。それはもやしと卵の炒めもの。先述の通り母の料理はセンスがない。塩とコショウだけの味付けのもやし炒め!鶏ガラだしもごま油も無し、いたってシンプル!それを若干3歳の私に白いご飯とお味噌汁で提供。今でもしかめ面になる味に当時の私が食べられるわけがない。ダダをこねてしまい親の逆鱗に触れ、さぁ躾の始まりだ。

父を蹴った罰

とある休日、部屋でゴロゴロしていた両親に私は「ひまだーあそぼーどっかいこー」と言ったはずだ。両親はなんと言って断ったのだろう、それは覚えていないが断られた私はチェッっと思って横になっている父をコツンと蹴ってしまった。その瞬間父の怒号とともに首根っこをつかまれ、窓から外に向かって身を投げ出された。腰くらいまでだった記憶だが、その高さ、4階。泣き叫び許しを請う幼稚園児を見たって当時はだれも通報はしてくれない。

それ以来私は親を蹴るなんて考えたこともないし、どんなことをされても親への暴言も吐けなかった。友だちの子どもが親に向かってナメたことしているのを見て驚き、ひとり勝手にアワアワドキドキしているのだ。

 

父からはお尻への平手打ちと頬への平手打ちだけだったと思う。グーパンチや道具を使われたということは記憶にない。